当時は、安定を望んでいた。
そして実際に、収入も安定していた。
多少の怪我や病気はあったが、大事には至らず、
家族みな揃って、今日を迎えられている。
心配はなかった。
今思えば、時間はあった。
きっとあの頃は、
その「心地の良い安定」を噛みしめていたのだと思う。
今なら言える。
考える時間ができたのなら、
その時こそ、もう一度設計図を思い出せばよかった。
設計図は、何度アップデートしてもいい。
その時点での設計図を描き、
次の更新まで忘れずに持っていれば、それでよかった。
でも、これが普通の人間の心の構造なのだと思う。
そして、
気がついた人から、少しずつ抜けていく。
ただ、それだけの話だ。
人生は、誰の判断で止まっているのだろう。
幸せを噛みしめてもいい。
特に家族には、そうしてほしい。
ただ、
自分だけは忘れずにいたかった。
人生には、
設計図があったことを。
判断を止める最大の原因
判断を止める最大の原因は、
「今が困っていないこと」だ。
設計図を忘れた人生は、
気づかないうちに、
選ぶ人生から「選ばされる人生」になってしまう。
でも、
50歳だから遅い、なんてことはない。
後悔している暇などない。
だから、また進めばいい。
未完成。だから進む。
また明日、進もう。
次に読む:安定は「強い」んじゃない。「重い」

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