コロナの少し前から、
自分のお小遣いが遅れがちになっていた。
特別給付金もあった。
子どもの給付金もあった。
それでも、なぜかギリギリだった。
当時はまだ、
「そのうち何とかなる」くらいに思っていた。
子どもの受験が近づくにつれて、
夏期講習、冬期講習、模試代…。
「教育費って、こんなにかかるのか」と
現実を知った。
その頃、妻から家計簿を託された。
昔、一度やろうとして挫折したことがある。
でも今回は、
「今度こそできるかもしれない」と思った。
Excelでキャッシュフローを追い始めた。
結果は、想像以上にシビアだった。
回らないわけじゃない。
でも、余白がない。
本当にギリギリで回っている状態だった。
そこで初めて、
奨学金を現実的な選択肢として計算に入れた。
感情ではなく、数字で見た結果、
「これは必要だ」と理解した。
そして同時に、
「いくら借りる必要があるのか」も見えた。
ただ、ここで終わらなかった。
数字上は成立していても、
あまりにタイトに組みすぎていた。
突発的な出費に耐えられず、
別で教育ローンを組まざるを得ない場面も出てきた。
家計簿初心者だった自分は、
とにかく「これ以上苦しくなりたくない」と思っていた。
余裕を持たせれば、
その分だけ借入は増えてしまう。
だから削った。
削って削って、成立させた。
今思えば、
余白のない設計図だった。
48歳を過ぎた頃、
理由ははっきり思い出せないけれど、
小さな違和感が心に残るようになった。
仕事なのか、
人生なのか。
今思えば、
キャッシュフローを直視したことが、
心のどこかに引っかかっていたのかもしれない。
当時は、そこまで自覚はなかったけれど。
同僚との飲み会で、
ぽろっと本音をこぼしたことを覚えている。
「何か動かないとダメな気がする」
自分でも、
何をどうしたいのか分からなかった。
そんな時、
国税の友人から「ふるさと納税」の話を聞いた。
そこから積立NISAの話につながり、
気づけば自分のお小遣いから
月1万円を積み立て始めていた。
大きな決断じゃない。
でも、自分にとっては一歩だった。
Excelで現実を見たことで、
できることと、できないことが分かった。
夢を見る前に、
まず現実を知った。
だから割り切れた。
割り切ったから、
次を考えられた。
この時はまだ、
設計図なんて言葉も使っていない。
ただ、
「現実を見た人間の選択」だった。
未完成。だから進む。
また明日、進もう。
次に読む:投資・保険・貯金をどう役割分担させたか

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